今回は企画からデザイン、その結果まで顧客に寄り添いコミュニケーションができるクリエイティブを制作する株式会社A5の代表取締役林森三様にインタビューを行いました。
林森三 ー株式会社A5 代表取締役/創業者ー
経歴:多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業。新卒でマーケティング会社に入社、制作部門に従事。その後、広告代理店に転職。2006年に株式会社A5を設立。
広告代理店から起業のきっかけは何だったのでしょうか?
広告代理店に勤めている間に、大きなコンペがあって大手車メーカーの仕事が獲れました。それを外部に委託しようということに社内で決定したのですが、全く知らない会社ではなく、知っている会社に頼みたいということもあり、その仕事を持って起業をしないかと当時の上司からご提案いただきました。
その代理店には20年勤めていたのですが、実はずいぶんと早い段階から独立した方がいいよという助言は周囲からもらっていました。しかし、自分で自信があったわけでも、経営に向いているとも思っていなかったのでそこまで真に受けていませんでした。
独立してみないかという話をいただいたときにも、周囲に相談をしたのですが、多くの先輩方から背中を押してもらえたこともあり、独立に踏み切りました。
独立する際に、安定した会社から離れることに不安はありませんでしたか?
もちろんありました。しかし、きっかけとして車の仕事があることが分かった状態でのスタートだったのである意味安心材料もありましたね。また、つながりのある方々から独立したら仕事をお願いするねと言っていただけていたので、わくわくや期待の方が大きかったです。
取り扱う仕事内容や商材は変わらなかったと思いますが、何か独立後に変化はあったでしょうか?
創業当初は知り合いからのご祝儀仕事がたくさんいただけて。一方で恩義もありますし、責任もあったので寝れないほど忙しかったです。元々携わっていた仕事も引き続き関わらせていただいていたこともあり、間借りしていた事務所と、元居た代理店と、クライアント先の何ヵ所かを毎日回っていました。
毎日夜の10時ごろにお昼ご飯を食べる…のようなことは当たり前でした。
それでも全くゼロからのスタートという訳ではなかったので、そういう意味では恵まれていたのかもしれません。
ゼロからのスタートではないとのことですが、独立にあたって準備したことはありましたか?
まずは、協力してくれるメンバー探しからでした。最初は一人で独立するつもりでしたが、車の仕事を受ける必要があったためもう一人デザイナーを引っ張り込みました。代理店時代から信頼をしていた仲間ですし、現在もメンバーとして働いてくれています。他にも友人に経理を手伝ってもらいました。
また、代理店で関わっていた仕事を独立した会社に引き継げるかどうかを勤めていた会社とクライアントと話し合いもしました。
さらに資本金集めもしました。独立するって話をした際に、だったら出資するよと言ってくださった方々がいて。私を入れて5人なので、「A5」という会社名をつけまいした。
前職からの繋がりで仕事や準備が整っていったのですね
そうですね、私自身、昔からの縁を大切にしようと考えています。小中高校の友人とも今でも連絡をとったり、会ったりしますし、仕事でご一緒した方々とも長い付き合いをさせていただいております。
独立後にぶつかった困難にはどのようなものがあったのでしょうか?
先ほども話しましたが、ご祝儀仕事が多かったのでどのようにきちんと応えていくかを考えなければいけなかった事ですね。
代理店時代は、ディレクターの立場としてデザイン会社の方やフリーの方々と一緒に仕事をしていました。コピーライターさん、スタイリストさん、カメラマンさん等を集めて仕事をしていたのですが、これらは代理店の看板があったからこそできたことでした。
独立してからはこれらを自分の会社の看板でやらなければいけない部分が大変でした。昔の仲間に声をかければ快く協力をしてくれてしましたが、それだけでは足りませんでした。
どのように人手を集めたのでしょうか?
最初から雇える体力はなかったので、フリーの人を中心に協力依頼をしていきました。今とは違ってSNSで人を集めるなどはできない時代だったので、人を介して紹介していただいて、協力者を募りました。
やはり代理店時代とは違う困難があったのですね。
元々携わっていた仕事を引き継いだものが7~8割あったので、これらの仕事は代理店に籍を置いていた時と同じように動けていました。しかし、やはり新規のご紹介できた仕事などは会社の信頼がないために、会社説明から始めて、まずは信頼を獲得しなければいけませんでした。
まだ実績も無かったので、代理店時代の実績を提示するしか方法がありませんでした。一歩ずつ、信頼を得るしかないので、良く話を聞いて何を一番欲して求めていることかを理解して信頼関係を築いていました。
弊社はデザイン会社なので、どのようなデザインを出せるかも見られていたと思います。
ご祝儀仕事が落ち着いた時に何か新しく起こした行動はありますか?
1年目は無我夢中で過ぎて、2年目に1年目のご祝儀仕事が実を結んで結構な売上を上げることができました。しかし、その後急にリーマンショックの影響を受けてしまいました。
広告なので、景気が悪くなれば一番最初に削減されてしまう費用です。仕事がバタバタとなくなりました。2年目にして山と谷底を経験しました。
会社ではなく外的要因によって経営が悪化したかと思いますが、それをどのように乗り越えたのでしょうか?
まずは色んな人に相談をしました。中には親身になって小さな仕事でもということで仕事を発注して下さる人もいました。次に固定費を削りました。引っ越したばかりの新オフィスから1年足らずで三分の一くらいの小さなところに引っ越したり、スタッフの方に色々とお話をして辞めていただいたり。苦渋の決断を何度もしました。
2年目にして壮絶な経験をされたのですね。
順調に来ていた時だったこともあり、落差が大きすぎて人生最悪の年だったと思います。早く次の年、良い年が来ないかなと思っていました。2009年だったのですが、除夜の鐘を聞きながらカウントダウンをして、2010年になった瞬間に目の前がパッと明るくなったような感じがしましたね。
自分の気持ちが変わるだけでも、こうも変わるかなというところもありますが、そこから少しずつ好転していきました。
その大変な時期に会社員に戻ろうなどの別の選択を考えなかったのでしょうか?
手に職があるので、一度会社をたたんでフリーでやることも考えました。フリーになるか、このまま頑張って続けるかを比較した時に、10年後どうなっていたいのかを考えました。
その時に、フリーのデザイナーをしている自分を想像すると、なりたい自分ではありませんでした。自宅に事務机があって、パソコンがあって、一人でできるだけの仕事をこなすよりも、会社を続けてスタッフが増えていくということを想像した際に、本当にやりたいことは自分の会社を仲間と共にやっていくことだと思えたのでそのまま続ける決心をしました。
リーマンショックの佳境を乗り越えた後はどのように経営をしていったのですか?
もう一度仲間を集め、会社を再構成しようと考えました。一人でやっていると心が折れてしまうことがあるので、会社内で同じ仕事を共有できる仲間がいるのは心強いと思っていました。
求人広告を出すお金も無かったので、ハローワークに通ってその中の人から契約しましたね。リーマンショック直後ということもあり、クリエイターの方などもいらっしゃったのが幸いでした。
仕事はどのように増やしていったのでしょうか?
紹介していただいたり、紹介からさらに広がったりというように仕事を増やしていきました。コンペにも参加して勝利し、結果を出して仕事を増やしてということもありました。
その当時に一番印象深い出来事としては、代理店のディレクターの方からどうしても取れない仕事があるので協力してほしいと頼まれたコンペに一緒に出たことですね。そのディレクターの方が何年も一人では取れなかったコンペに、徹夜しながら作ったものが勝てたということで、とても達成感がありました。その後も良いパートナーとして今もご一緒しています。
この時期になると、仕事の幅もすこしずつ増えてきて新しい分野にチャレンジできるようになっていました。
そのころから企画から広告の効果を受けたレポート作成までを仕事の範囲にコンセプトを設定したのですか?
そうですね、最初はデザインだけを業務にしていてクリエイティブに特化していました。先ほどのコンペティションに参加した時に、どうしたら今まで勝てなかったコンペに勝てるかを考えるようになりました。どうすれば顧客の先にいるエンドユーザーの気持ちを動かせるかを考えて、企画書を書き始めたのがきっかけです。
デザインは見栄えだけでなく、人の気持ちを動かす何かがないといけないだろうと思っています。それは何か考えた時に、デザインを決める前に企画の段階から詰めていく必要があると感じました。
企画にはリサーチや、マーケティングの知識も必要です。その部分は前職のマーケティング会社での経験が役に立ちました。これらを踏まえて、デザインだけでなく、一気通貫して顧客の支援をするようになりました。
企業理念にも幸せを創るクリエイティブとありますが、これがきっかけだったんですね。
そうですね、軸として大切にしていることに、デザインは独りよがりではなく、人の気持ちを良い方向に動かさなければいけないと思っています。
私が代理店に入社したきっかけも、1つの新聞広告でした。今でいう通信販売の広告を見たときに、「このかっこいい写真の商品を買えるんだ」という衝撃が走りました。その広告を作った会社に縁があって入社したのですが、この広告がきっかけで人の気持ちを幸せな方向に動かしたいという考えにずっと繋がっています。
幸せを創るクリエイティブという言葉を作ったのは、もう少し後、2011年の東日本大震災の後でした。その時に、また広告業界は打撃を受けたので、何を守って、何を変化させなければいけないのかを考えるようになり、言語化したという経緯になります。
現在コロナによって多くの経営者が厳しい局面に立たされているかと思いますが、リーマンショック、震災を乗り越えたご経験からどのように乗り越えていけば良いとお考えですか?
気持ちを切らないというのが一番だと思います。だめだと思ってしまうと悪い方に進んでしまうので、「まだできることがある」というマインドを持つことが大切です。そうすればどうやればできるか、何を捨てて、何を守るかという風にポジティブに考えることができます。
弊社もコロナやオリンピック関係で様々な影響を受けましたが、他にできることもたくさんあるのでそれを1つ1つ見つけて今はさらに次のステップに行くためにどうするかを考えています。
ー本日インタビューをした株式会社A5様の情報ー
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