株式会社トキヨプロダクションズ 代表取締役 中島多恵子
経歴:
- 1983年、京都生まれ
- 2006年、バッグブランド「COET(コエット)」を立ち上げONESHEET-BAGを発売。 2009年、株式会社トキヨプロダクションズを設立
- 2013年春から、廃材を使ったエコロジーライン、正規の布を使ったコレクションライン、2 つのラインを展開
- 2013年から海外販売を開始。ヨーロッパと台湾・香港のセレクトショップなどに卸販売を 始める。
- 2016年、COETのエコロジーラインがソーシャルプロダクツ賞を受賞
- 2018年にはフランスの百貨店”ギャラリー・ラファイエット”で販売
- 2018年、東京都中野区に本社兼アトリエ・ショールームのstudioCOETをオープン
- 2021年現在 中野のショールーム・オンラインショップ・国内外のセレクトショップなど で販売中
- オリジナル商品だけでなく、企業やアーティストとのコラボレーション企画の共同開発・製 造・販売も手掛ける。
◎もともとはデザイナーとして勤められてたんですか?
もともとは何もしていなかったんです。成安造形大学で写真などビジュアルに関することをを学んでいました。当時はブラックミュージックが好きで大学2年生の夏に1ヶ月半ほどニューヨークとLAに行きました。
現地ではストリートでたくさんの人が表現していて、日常が情熱に溢れていました。電車の中や道端で、踊ったり歌ったり絵を描いたり。表現することやそれを受け取って何かを感じることがごく自然で、息をすることと同じでした。これは大学の座学では学べないことでした。もし学びたいことがあれば本を読めばいいですし、やりたいことがあれば行動すればいいと思ったのです。それで大学を辞めました。
◎その後はすぐアパレルブランドを立ちあげられたんですか?
いいえ。ニューヨークで尊敬できる人に出会い、その方が東京で活動していたので、大学を退学してすぐに東京都中野区に住み始めました。そこから1年から2年はアルバイトをしていました。当時は自分の着たい洋服や鞄が(お金がなくて)買えなかったので、自分用の服などを家庭用のミシンで作っていました。当時はこれを仕事にしようとは思っていませんでしたが、それを見た洋服屋をやっている友人が売らせてほしいと声を掛けてくれたのがきっかけで販売を始めました。
◎事業を始められてからはどのようなことをされましたか?
お客様の口コミでファンの方が増えたので、きちんとしたブランドを作ろうと思いました。それまでは洋服やカバンなどを作っていましたが、洋服は季節やサイズごとに在庫を持つことになり、大きな資本が必要だと思いました。バッグは道具でありファッション雑貨であり、季節も関係なく老若男女問わず使うものなので、小さな規模から始められます。そこでバッグに絞ろうと決めました。
◎実際に5万円を元手に始められたと聞きましたが実際に出来るものなんですか?
これは外注加工で初めて量産を行った時の予算が5万円だったという意味です。そこから量産体制を作って事業として本格的に取り組み始めました。原価5万円(材料費と外注工賃)をかけて生産したバッグを売って、売ったお金でまた材料を買って工場に依頼して。という単純なことです。もちろん最初は自分のお給料なんて出せませんし、実際にできるのかというとよくわかりません。
◎この当時は不安はなかったんですか?
全くありませんでした。自分の作った作品を欲しいと思ってくれる人がいるなら、喜んでつくりますよ。と流れに身を任せていました。原価率や損益などの会計を理解できていたら、始める前に諦めていたかもしれません。良くも悪くも、まったくの無知でした。
◎ここからCOENというブランドを立ちあげられて1人でされてたんですか?
この頃から今でもずっと一人です。ブランドを立ち上げた時期が、大企業さんが同じ名前で新ブランドの立ち上げをされた時期と同時だったんです。そこで商標という権利を知ることになり、商標制度を勉強しました。「COEN」は私の実家のお寺の名前に由来したものでしたが、語尾の「N」を多恵子の頭文字の「T」に変更して「COET」で商標を登録しました。ここからブランドが本格的にスタートしました。
◎他にも新しいサービスや商品も作られてたんですか?
当時はバッグ事業だけでは継続が難しかったので、HP制作なども行っていました。独学で自分が必要なものを必要な時に勉強していました。最初はエクセルのマクロから入って、面白いなと思ったんです。そこからVBAを活用しだして、データベースを引っ張ってこれると分かってからさらに興味が湧いて、SQLとPHPも勉強しました。
◎ではいまのHPも中島様が作られたんですか?
2021年まではすべて自分で作っていました。現在リニューアル中なのですが、今回から外部のプロに依頼して構築してもらっています。
◎本業をやりながら受託案件も受けているとやりたいことが出来ないという大変さは感じなかったんですか?
楽しかったので辛いとは思いませんでした。1人で個人事業主としてものづくりだけをしていると社会と交わっていない感覚があるんです。ものづくり以外の事業やサービス提供を通じてこの国で生きているという実感がわきました。社会の仕組みを知ることが好きなので、バッグ事業以外のなんやかんやは意外と精神的に大切だと思っています。初めは飛び込み営業などで苦労はしましたが、時代の流れやいいご縁のおかげで、ここまで本当に「運」で生かされていると感じています。
◎バッグの事業に注力したのはいつ頃ですか?
2013年からバッグの事業だけで会社を運営できるようになりました。ちょうどFACEBOOKに登録して海外とのつながりができはじめた時期です。国内でも大きなお取組み先が決まったり、個人のお客様に認知していただくきっかけになりました。SNSの力は大きかったです。
◎その後、Ecology Lineという商品を販売されましたが、どういったきっかけがあって販売されたんですか?
2006年の創業当時には資金が乏しかったので、安い訳アリ品などの材料を活用して作品を作っていました。当時からお世話になっている生地問屋さんには、傷物のB反や生産過多であまった生地が企業からごっそり入ってくるんです。その生地を特価価格で購入することが出来るのでそれを活用していました。当時は“いかに低予算で素敵なものを作れるか”が重要でした。それが今やサステナブルやSDGsといった付加価値が付くようになりました。
◎実際に今新型コロナウイルスが流行して事業としてはどうでしたか?
2020年の自粛期間中は中野のショールームを閉めていたので、モノづくりに集中できたので良かったです。外出することが減ったので鞄の需要は減り売上は落ちると予想していましたが、そうでもなかったんです。個人顧客さまへの売上は伸びました。それに反比例して、海外の代理店や、お取組みをしていた店舗がどんどんなくなっていきました。卸売りの販路がなくなったということが新型コロナウィルスまん延で一番影響を受けたことです。
◎今はどういったことをされているんですか?
これからは海外への販売においても、店舗様を通さなくても個人顧客様へ販売することができるよう、ECサイトをリニューアルしました。昨年1年間をかけて準備が整ったので、今年は国内外の個人への認知度向上の取り組みをしています。
◎今後どういったことをしたいですか?
今後も引き続き、人の心を動かせるような作品を作り続けたいです。事業を大きくすると売上利益を追わなければいけなくなるので、マジョリティーと同じものを追わなければいけなくなるんです。なので事業を大きくしたいとは思っていないです。純粋な真心で、本当に自分が欲しいと思うものを作ってお客様に喜んで頂けたら嬉しいです。
‐本日インタビューした株式会社トキヨプロダクションズ様の情報‐
オンラインショップ:https://shop.coet.jp/