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次の時代に来るモノを見極める。 – 代表取締役社長 菅澤 英司

今回は「スマートフォン向けアプリの実績は国内No1級」と言えるほど、多くのアプリをリリースし続けるbravesoft株式会社代表取締役社長の菅澤 英司様に、起業から5年間ほどの経営についてインタビューを行いました。

日本のテクノロジーのインフラ部分を担っているbravesoft株式会社が製作したアプリの総ダウンロード数は合計1億ダウンロードを超え、同社が提供するテクノロジーを使用するユーザーは月間500万人以上と、多くの人が知らず知らずのうちにbravesoft株式会社のテクノロジーに触れていると言っても過言ではありません。

近年はイベントとテクノロジーを融合させた「イベンテック」というテーマを中心に、自社サービスとして「eventos」や「Live!アンケート」などの新規事業にも進出しています。

菅澤 英司 ーbravesoft株式会社 代表取締役/創業者ー

経歴:情報科学部に在籍中、学生エンジニアとして活動し、22歳でbravesoft株式会社を起業。スマートフォンアプリ開発にいち早く進出し、これまで総計1億DL,1000件以上の開発を経験。15年間で世界4拠点150名でのグループに成長。

 

起業したきっかけは何だったのでしょうか?

高校まで遡りますが、高校生のときにWindows95、98等が出た時期でした。その時に、IT業界を面白そうだなと思ったことが業界への興味のきっかけです。そこから勉強をし始めたのですが、その時にアルバイトを経験したことが起業へ直接繋がったと考えています。

現在活躍されているような業界屈指のエンジニアの方々は挙って学生時代に何らかの仕事でプログラミングを経験しているように思います。私の場合はJavaという言語から始めたのですが、大学の勉強程度の知識しか無かったにもかかわらず、当時はそれですら重宝されたので携帯のアプリ開発を任せていただけました。

その時は昼も夜もなく、5人のメンバーと一緒になってバンド感覚のような感じでワイワイiモード向けのアプリを作っていました。しかもそれがたまたまヒットして、実用化されたサービスになりました。

この経験から時給換算すると1時間500円くらいの給料だったのですが、それでも楽しい、これが仕事なんだ、仕事にして良いんだという発見ができました。それからは大学に行くよりも会社行く…という感じで、実際に様々なプロダクトを作りに関わらせていただきました。そこで、メンバーのうちの3人と、就職するよりもこのまま会社を作ってしまった方が面白いのではないかと考えて起業に至りました。

その会社が現在のbravesoftですか?

これは1社目で、アルバイトしていた会社に間借りする形で始めた会社でした。そこではCTOを任されていたのですが、ノウハウも人脈も営業力もなかったので、今考えると絶対に納期に間に合わないような酷な案件なども引き受けていました。

毎月400時間くらい働いていたかと思います。その中で他のメンバーと方向性が違うと感じ始めたことがきっかけで、自分の理想を追求するには、自分の会社を作らなければいけないと思い、立ち上げたのがこのbravesoftですね。そこから今16年が経ちます。

 

アルバイトをしていた会社で働くことや、就職をするという選択肢もあったかと思いますが、その中で起業を選んだ理由はなにかあるのでしょうか?

当時は今と比べてSNSも無いので情報を得ることが難しい時代でした。そのため、当時は何も見えていなかったとも言えるかもしれません。就職するならばまず就職説明会に行く必要が出てきますし、アルバイト先は大手メーカーに人を派遣してシステムを提供をするような事業だったので、自分がやりたいこととは違うと考えた時に起業という選択肢が最適だと考えました。

やはり、目の前の人が喜んでくれるようなサービスを作りたいと考えた時にアプリ開発をしたいという想いは変わりませんでした。bravesoftの立ち上げの際には、当時はまだiモードの時代でしたが今後「携帯」が面白くなると思っていたので、携帯に携わりたいと考えていました。

 

「携帯」を軸に起業していくことを決めてから、起業までに準備されたことは何でしたか?

全てを賭けていた1社目が失敗したことでお金がすっからかんになりました。そこでまずは一旦実家に帰りましたね。

学生時代から自立していたので、仕送りとかも貰わずに家から出ていたので、めったに帰省していなかったのですがこの時ばかりは生活のために帰らざるを得なかったです。

結局半年くらいでまた家を出ていくことにしたのですが、その時に自分が作りたい会社のことや、自分に発注したいと言ってくださる人がいることを家族に伝えたところ、両親、姉、妹が少しづつ資金を出してくれて、もう一度挑戦したら、と背中を押してくれました。

 

家族の理解によって準備が進んでいったのですね。

そうですね。さらに、今度は私と一緒に働きたいと言ってくれてた友達も出てきました。いきなり5人メンバーが集まるのですが、そうすると少なくとも月150万ぐらいずつ支払いが必要になってきます。全然お金が足りないので、知り合いの不動産屋の人を紹介していただいて、「全然お金がないんですけど、良い物件ありませんか」って頼み込みました。そうしたら、その不動産屋の社長さんの奥様が近くで事務所を営んでいてその事務所を間借りすることになりました。ほんの数畳の狭いところだったのですが、それが今の会社の始まりです。

 

資金と人と事務所が揃ったところで次は事業拡大でしょうか?

アルバイトを始めた大学2年生から4年間、様々なプロジェクトに関わってきたのでその繋がりから直接仕事を任せていただけるようになりました。この4年間で相手のことを考えて開発したり、プロジェクト進行や提案をしたりしていたので、人に紹介していただく機会も増えてきました。営業も頑張った甲斐があって、1年目から3000~4000万ほど売上が上がりました。

 

1年目までに一番苦労された点はどこだったのでしょうか?

最初はやはり月に150万円固定費として払い続けるということが23歳の自分にとっては重荷でした。払うために知り合いを沢山回って営業したり、納期が極端に短いような問題のある案件を、問題があるなりに何とか対処したりしていました。

後は、採用にも課題がありました。立ち上げたばかりのベンチャー企業だと、中々優秀な人を採用できないという課題があって。せっかく技術を教えても辞めてしまうこともしばしばあったので、人を増やすためにまた新しい人を採用してということの繰り返しを5年くらい続けていました。

今は優秀な方々も応募してくれるような企業に成長したのですが、最初は課題ばかりでした。

 

採用問題に関してはどのように対処したのでしょうか。

2年目にいきなり中国に子会社を作りました。当時の中国の人件費日本の5分の1ぐらいだったので、同じ人件費で5人採用できる計算でした。さらに、技術を教えれば日本人と同じぐらいパフォーマンス出してくれるので中国での採用を強化しました。これがきっかけで結構大きく成長していったと考えています。

 

他の人件費の安い国ではなく、中国だった理由は何かあるのでしょうか?

まずは、当時中国の優秀な人材が日本に留学などで来ていた時代だったということがあります。後は、当時から中国の時代が来ると予想していたからです。

今は当時来た中国人メンバーが、現在の北京子会社の社長を担ってくれているように上手く循環しています。今後も中国はさらに勢いが増すので、日本だけでなく中国でも使われるようなプロダクト作りをしていきたいと考えています。

日本は人口が1億数千万なので、1つのアプリで3億ダウンロードは無理ですが、中国であれば全然あり得るので期待も大きいです。

中国はカントリーリスクもありますが、15年ほどやってきているので現在はそこはあまり問題に感じず、それよりもチャンスや面白さの方が中国は大きいと考えています。

2年目を超えた頃から次に注力した分野は何でしたか?

携帯に注力をしていたので、スマートフォンが売れ始めた2008~2009年、創業4年目は大きなターニングポイントだったと思います。

会社は全然余裕が無かったのですが、スマートフォンの時代になると思いましたし、何より自分が作っていて楽しい、面白いというのがスマートフォンに注力していきたいと感じました。

スマホが出てから3年くらいは、ガラケーで十分だしスマホは流行らない…なんて言われていました。でも私は、その3年間で沢山スマートフォン向けアプリの実績作りにいきました。3年間で30個近くリリースしました。

 

流行らないと言われていたスマートフォンに注目できた勝因はどこにあったのでしょうか?

現場の最先端の情報をしっかり自分で取りに行くことが大切だと考えています。現代は多くの人が本やメディアを通して情報を得るかと思いますが、本やメディアになっている時点で既にその情報は遅いです。

1つ重要だと思っていることは、現場に居続けることです。私は今もエンジニアとしてアプリを製作しています。製作にあたっての目の前のクライアントやユーザーが何を言っていたか等の、現場感がとても重要だなと気づかされる日々です。

最新の技術で人々が使用する物を日々作り続けていく。だからこそ感性が磨かれ続けているということ、加えて新しいものを自分でまず購入して楽しんでみることが新しい時代の最前線を行く方法だと考えています。

 

ガラケー向けからスマートフォン向けに主軸を変更した際に社内で反発などはありましたか?

やはりありました。「ガラケーのほうが儲かるし…」、「案件もあるし…」「やっとガラケー向けの開発が得意になってきたのに…」、「本当にスマートフォンで儲かるの?」等の意見は様々出ました。

そこで、ビジョンや理念等が重要になると考えています。最初にビジョンや理念に共感して、納得した人が集まることで、無駄な議論をする必要がなくなるかと思います。弊社の場合は新しいもの好きが集まっているので、新しいことをやるかどうかの議論は必要ないと思っています。

ビジョンなどは創業から決定していたのでしょうか?

創業の時はとにかく自分が好きなものづくりを、理想を追求するという想いが強かっただけでした。そういう自分の理想を追いたいなって思う人、エンジニアだったり若者だったりに1番重要なのは何かと考えた時に「勇気」だなと思いまして、それで「bravesoft」という社名にしました。

 

1社目の起業の際の失敗である方向性の違いを上手く理念を置くという形で対処しているように思えますが、他にも何か2社目で改善した点はありますか?

1社目は3人で対等に始めました。お金も1/3ずつ出し合って、裁量権も1/3のように。しかし、3人とも方向性がばらばらだったので、1つの会社を経営していくのは難しいことが分かりました。

ベンチャーだと、人数多い方が成功率高いように見えてしまったり、力を合わせたほうが勝てると思いがちだったりしますが、私の場合はやってみた結果1人で良かったです。もちろん、創業メンバーで頑張って成功しているGoogleのような例もありますが、「何となく不安だから」という理由だけで何人かで行うなら一人で起業した方が良いと思っています。

 

ベンチャー企業経営者に必要な素質や能力は何が必要だと考えますか?

営業力が大切だと考えています。「このサービス使ってください」という営業はもちろんですが、「一緒にこのサービス作ろう」と仲間を集めるのにも営業力が大切です。営業できるかどうかが生きていけるかどうかに直結すると考えています。

生きるためだけの営業力は会社員でも十分あると思うのですが、さらに経営者として必要になるのはビジョンやリーダーシップだと思います。「こういうことやりたいんだ」というような、コアとなるものを持ってないと経営者を続けていくことは難しいでしょう。

私の場合は、第一印象を大切にしようとしています。初めて会った時に、「ものづくりが好きで、得意で、こんなアプリを作っています。」という印象を与えて連絡先を交換しておきます。そこで興味を持ってくださる方は相談してくださるんですよね。

 

今後はどのような分野に注力していくのでしょうか?

スマートフォンの次にくるのは「eventech」だと考えています。スマートフォン向けのアプリ製作でデジタルの便利さを感じた一方で、例えばユーザーに課金させることが難しい等の限界も感じました。

しかしスマホゲームの500円の課金は渋る人でも、近所のお祭りに行ったら屋台に500円簡単に支払う…のようなことって沢山あると考えています。そこから、大体7年ほど前なのですが、「体験」が大切なのだと気が付きました。

7年前からこれまで既に3億円くらい開発投資をしているのですが、今回コロナでイベントが次々にオンライン化されて。「eventos」という自社サービスにものすごく注文が来ています。しかし、オンラインではまだリアルイベントに比べて大きな感動が足りていないと考えているので、まだこれは第一フェーズで。今後さらにリアルとオンラインがより密接に関わっていったイベントが出来ていくと考えています。そこで我々が7年間準備していたことが証明できると思っています。

2021年10月には7億円の資金調達を実施し、今後も益々進化していく予定です。

 

-本日インタビューしたbravesoft株式会社様の情報-

会社HP:

https://www.bravesoft.co.jp/

資金調達の詳細について:

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000075.000054681.html

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