PLENRobotics株式会社は対人サービス業のデジタルシフトを支援するロボットベンチャー企業です。コロナ禍の今、人との接触制限を余儀なくされ苦境にあえぐ事業者を救うべく、小型の顔認証AI接客ロボット「PLEN Cube」を開発しました。現在は入退館管理や受付業務の自動化に貢献しており、今後は受付から決済までワンストップで担う決済機能の実装に向けた実証実験を行う予定で、飲食店や宿泊施設等への導入も見込んでいます。
10年以上小型ロボットを開発してきた経験を活かし現在接客業務の自動化に貢献しているPLENRobotics株式会社の代表 赤澤 夏郎さんに「設立の経緯と、どのような行動をされてきたか」について伺いました。
赤澤 夏郎 - PLENRobotics株式会社 代表取締役/創業者-
経歴:
アクチュエーション制御、人と機械のインタラクション表現技術を追求し、2006年に当時世界最小の量産化二足歩行ロボット「PLEN」を開発
2006年、2007年、Robo Games(サンフランシスコで開催される国際的なロボット競技会)freestyle/acrobat部門で2年連続金賞受賞
大阪滋慶学園グループ大阪ハイテクノロジー専門学校ロボット学科(現在人工知能学科に改編中)設立及び運営アドバイザーに就任
2015年に「PLEN2」により、世界初のプリンタブル・オープンソース・ヒューマノイド発表。2017年PLEN Robotics株式会社を創業。PLEN Roboticsでは、コンセプトメイキングからロジスティックに至る開発・生産業務を主導
-起業するに至ったきっかけを教えてください。
最初に起業したのは2004年で、小型の人型ロボットをプロダクト化したのが2007年でした。
はじめは実家の鉄工所の社内ベンチャーとしてスタートしました。
元々ものづくりには興味がありましたが、それまで全く違う仕事をしていた自分が、どういうものづくりをしていけばいいのかと考えていた時に他社のロボットのプロダクトを研究する機会がありました。
ロボットの動きを見て私自身感動したという事もあり、そこから人型のロボットを開発してみたいと思うようになった事が1番のきっかけです。
-開発される前はプログラミングやロボットの知識はどれぐらいありましたか?
起業前は殆どありません。当時は2人のエンジニアに私が出したアイデアを実現してもらうような形で開発をしていました。
当時は今のように動きを制御するツールも整備されておらず、アニメのセル画を書くみたいに1コマ1コマ動きを作っていたので多くの時間とアイデアを費やしました。
-実際に人型ロボットはどれぐらいの期間で作られましたか?
最初のプロトタイプまでの開発期間が半年ぐらいです。その後展示会等で発表し、市場からの手応えを感じたので数百台の量産を行ったのですが、量産が完了するまでにさらに1年かかりました。
今振り返ってみればかなり集中して時間を使っていと思います。
-ビジネスを成長させるビジョンは持っていましたか?
このビジネスをいかに広げていこうかという所は考えていませんでした。
今で言うYouTuberの様な形で動画を作り、とにかく多くの場所でアピールして国内外問わず知名度を上げようとずっと考えていました。
完全にプロダクトアウトの状態で活動している中で教育・学校関係の方等からコンテンツに対する要望をいただくようになりました。
そこで「教育・学校関係にニーズがあるんだろうな」と考え、開発ツール等を開発し事業環境を整えていきました。
-知名度は順調に上がりましたか?
YouTubeでバズったと同時にテレビ出演も多くしていたので、私達が思っているよりも順調に知名度は上がっていきました。
単純に動くよりも、多くの考えを持って動きを作った方が人の注目を浴びるという事を当時のプロダクトを通して実証出来たと思っています。
-その後2009年に実家の鉄工所の事業が倒産されてしまったと拝見しました。やはり影響はありましたか?
社内ベンチャーとしてスタートした時に法人は別途登記もしていたので事業が無くなってしまう事は無かったのですが、実家の事業の方からサポートを受けながら事業をしていたので本体が無くなってしまう事で影響はありました。
今後どうしていくかと悩んだ際に、せっかく始めた事業が連鎖して無くなる事も無かったのでこのまま頑張って続けようと思いました。
-その後は人や資金といったリソースの部分を補充する動きをしたのでしょうか?
リソースを整えて再出発というところは最初の2年間はありませんでした。「とにかく会社を維持しなきゃいけない」という事が一番のモチベーションであり、使命でした。
暫くは専門学校のコンサルティングや、2007年当時に量産したロボットの販売、ロボットの開発を受託するといった活動をしていました。
2012年ぐらいから3Dプリンターが出てきた事でデジタルものづくりが見直される時期がきました。
その時期に、開発から随分時間が空いていましたが、私達が作ったプロダクトが再度注目を浴びるようになりました。
そこから仕事を受けるだけでなく、自分たちから発信をしていくためには何をしたらいいのか考え始めました。
この時の発想としては「自分達で面白いと思うものを作り、作った物を何かのニーズにフィットさせる」という考えで、色々な物を作っていました。
-やはり教育・学校関係の物を作られていたのですか?
そうですね。教育関係の仕事が多かったので教材のキットのような物を作ったことが多かったです。例えば学生さん達が使うGPSキット、気圧や高度を測るようなセンサーを組み込んだ機器などをよく作っていました。
その後教育だけでなく、もっと広い領域で世の中に実装できるサービスを作る事にチャレンジしたいと思い、2017年にPLENRobotics株式会社を設立しました。
-何故既存の会社で事業を起こすのではなく、新たな会社を設立したのでしょうか?
ここまでやってきていた会社は、売り上げは大きくないですが安定的にお客さんがいて、少ない人数であれば回していける会社になっていました。そこで私としては困った時に立ち帰れる場所としてこの会社を置いておくべきだと考えていました。
どちらかと言えば保守的とも言える運転をしているこれまでの会社で新規事業を行うのではなく、ハードウェアのスタートアップ企業として別の環境を作りチャレンジしたいと考え新たな会社を設立しました。
-新たに設立される時にはどんなアクションをしましたか?
まずは開発のためにエンジニアを集めました。
スタート時にはエンジニアの方が4名参加してくれました。
-実際にPLENRobotics株式会社がスタートされてからどんなロボットを作るかは決めていましたか?
最初にイメージしていたのは今売り出しているto B向けのロボットではなくて、どちらかと言えばto C向けのロボットをでした。
家庭に置く事で、持ち主の行動ログを収集したり、家庭内の家具の制御を出来るようになる事をイメージしていました。
いわば家庭にあるようなサービスロボットをイメージして製品の開発をしプロトタイプまでは作りました。
しかし、ちょうどその頃Amazon Echoが出てきたんです。
「家庭にあるサービスロボット」には音声対話・音声入力がポイントとなってくると考えていたのですが、Amazon Echoが出てきたことによって世の中の音声対話・音声入力の捉え方は変わりましたし、同じステージでは勝負は難しいと思いましたね。
そこからto B向けに方向転換をしました。
「to Bにおいてロボットの使われ方ってどういうものなのか」、「to B向けに合致するニーズや使われ方はどういうものなのか」という事を研究し直しました。
-to C向けに開発されていたものが無駄になったわけではなかったのですね。
基本的な機能は全然変わっていません。お客さんや領域のニーズに合わせて仕様を少し変えていました。
物を作るという作業はソフトウェアをコーディングする作業とは違い、3Dプリンターを使って試作したり、工場に依頼して試作したり、という様な費やす労力の質が全然違います。
なので試作した物に対して「これがダメだったからこんな形に変えましょう」という方向転換が非常に難しいです。失敗したから形を変えるのではなく、形は基本的なものを基盤に、提供するサービスを頭を捻って考えるやり方をこれまでやってきました。
-to C向けのプロダクトをto B向けにしようと決断されたのは設立からどれぐらい時間がたった時ですか?
2017年の設立間もない頃にはピボットと言えるかどうかは分からないですが方向性は変えていました。
起業する前の準備期間中に今のPLEN Cubeはデザインやコンセプトが出来ていましたが、Amazon Echoが2016年に登場した事で「このままではだめだ」と思いました。
○PLEN Cube
-to B向けに商品を作っていこうと方向転換されてから何をされましたか?
ヒアリングは勿論していましたし、仮説を立て、仮説を立てた先に「こんな商品は使えないか?」という事をひたすら検証していました。
同時にハードウェアで且つto B向けでそれなりの数を売らないといけないビジネスなので開発と量産も行っていました。
-ヒアリングはどのように行いましたか?
例えば展示会やミートアップ的なもの、アクセラレータープログラムと言われる場所に積極的に参加して興味を持ってくれた方達と深く話し込んでヒアリングするというような形で行っていました。
to B向けのロボットを作るとしたら、顔認証機能がある受付ロボットだと考えていました。
受付ロボットが活きるのは「決まった人が来る施設」だと考えたので、それらを運営する人が集まるアクセラレータプログラム等に参加しプレゼンをして興味を持ってもらおうと考えました。このようなプログラムに参加した方が、街中で行うより効率的なヒアリング方法だと考えて実行していました。
-振り返って、何が困難でしたか?
量産が出来てくるのが2020年の9月だったのですが、会社を設立した2017年から間の期間はロボットを売りたくても物が無いですし、アイデアは作れたとしてもそのアイデアを実現できるツールや自分達の商品等を持っていなかった事が苦しかったです。これはハードウェアを作ってる会社であれば一番の苦しいフェーズだと思います。
最初の頃は試作品が出来る楽しいフェーズがあります。3Dプリンターで作って動かしてみて、動いた事に一喜一憂したり、お客さんに見せて感動を共有したり出来るのですが、それも一巡してしまうと「何時1個のものが1000個になるんだろうか」という苦しさがあります。
当然メンバーにも「先が見えない」というしんどさがあったと思いますし、私自身「売る物が出来ないと会社を回せなくなるな」という恐怖心はありました。
なので「自分自身をどう勇気づけるか」が重要だったかなと思います。
-大変な時にどんな事を考えていましたか?
ハードウェアのスタートアップで言われること言葉で「量産の壁」という言葉があります。
この壁を乗り越えられるかどうかで、私達の様なスタートアップの会社が存続できるかのポイントになったりもします。
壁を越えた先にもっといろんな壁がありますし、乗り越えてもダメだったという事は当たり前のようにあるので大変だと思います。ただ「量産の壁」を乗り越える事が今まで無かったので、せめて乗り越えて勝負の舞台に立つ所までは嫌な事があっても頑張ろうと考えています。
-本日インタビューしたPLENRobotics株式会社様の情報-