株式会社f-pzlはフェルト製ユニットf-pzl(エフパズル)の開発、それらを使用した各種知育玩具、平面パズル、立体パズル、ホビー材料の企画、デザイン及び販売を行っている大阪の企業です。
国内外の知的財産権の獲得や、f-pzl(エフパズル)の海外への売り出し等、パワフルに活動され続けている株式会社f-pzlの代表 西島 洋美さんに「f-pzlの歩みと、大変だった事」について伺いました。
西島 洋美 -株式会社f-pzl 代表取締役/創業者-
経歴:
京都市出身
京都工芸繊維大学工芸学部卒業
小泉産業株式会社照明企画部
自営業で複数起業後
2012年株式会社f-pzl設立
思いつきから生まれたフェルトのレゴ
-設立の経緯を教えてください。
実は3回目の起業なんです。どちらも自営業でしたが最初は飲食業、次は婦人服のオーダーのお仕事をしていました。
2回目である婦人服のオーダーは売上が良く非常に順調だったのですが、「お金を儲ける」という意味では面白みはあれど、同じローテーションの繰り返しは面白くないと感じていました。
そういった事を考えていた頃に、東北の大震災が起き「同じ日本人が苦しんでいる時に、自分の着るものなどにお金を多くかけるのはあまりよくない」という風潮が起きた事で婦人服の売上がかなり落ち込みました。
しかしその分時間ができて暇が生まれた事で、布製のレゴのようなパズルを思いつく事が出来ました。これが現在の「f-pzl」です。
最初は「f-pzl」を組み合わせてジャケットを1着作成し横浜キルトウィークというパッチワークキルトの日本で1番大きいアワードに応募しました。
「本当に”f-pzl”が面白いと思ってもらえるのかどうかを知りたい」という思いから応募したのですが、ウェア部門で優秀賞をもらう事が出来ました。
手芸のプロの方から見ても面白いものだったんだという事が確認できたので、少量ずつ色々な素材を切って使えるかどうかを確かめる作業を行いました。
デニム生地や本革、合皮といったある程度厚みや弾力の合う様々な物を試した結果、フェルトに辿り着きました。
その後フェルトで2mのワニを作成し東京ビックサイトで行われる「日本ホビー大賞」というアワードに応募しました。
結果として大賞を獲得する事は叶いませんでしたが、大きな賞をいただき、副賞としてビックサイトの「日本ホビーショー」に無料で出展させていただきました。
来場された多くの国内外の方々の反応を見ていたのですが、「f-pzl」の説明をすると皆さん「面白い!」と言って「f-pzl」や作品の写真を撮っていかれました。
-周りの反応は良かったのですね。
そうですね。
ただ皆さんに「知的財産権を作っておかないと誰かに真似される」とも言われました。
そこで大阪に帰る新幹線の中で知的財産権について色々調べたのですが、アイデアだけ盗まれて何も言えなくはなりたくないですし、権利をとる過程で「f-pzl」が世界的にも本当に新しい物なのか確認も出来るので知的財産権を取っておくべきだと考えました。
それでも知的財産権を取るのには100万円以上のお金がかかりますし、婦人服のオーダーの仕事で貯金はあったといえども材料費など多くの部分に更にお金がかかると考えていました。
-資金の問題はどのように解決しましたか?
大阪府が出している補助金を獲得する事で解決しました。
新幹線の中で補助金を調べてみると、締め切りまで残り1週間でしたが、大阪府のデザインプロデュース型で最大800万円補助金が出る募集があることを知りました。
大阪に戻り、〆切までの1週間で補助金の申請に必要な厚さ2~3cm程にもなる書類を仕上げ、申請しました。その結果無事に審査に通り700万円程の補助金をいただける事になりました。
ただ補助金というのははじめにいただけるものでは無く、プロジェクト期間が終了した二年後、詳しい報告書を審査してもらい、精査した後に、使用金額の2/3を補助していただけるという物でした。
なので満額貰おうとすれば1000万円規模の事業をすることになります。最初は自分でお金を準備しなければいけないので、お金を準備し知的財産権を取るのにかかる費用と、素材の開発の費用などを合わせて予算を組み、起業をしました。
実質1人でしたが、父を監査役に、成人していた娘を取締役に置いて3人役員としてスタートしました。
-何故今までのように個人ベースでは無く起業されたのでしょうか?
個人ベースでは一般消費者と同じなので相手の会社さんも本気で話に乗ってもらえないと思っていました。「大きい単位で受注したい」と言っても「本当に代金を払ってくれるのか」と疑われ会社同士の契約にならないと考えていたので、起業して法人になるのは必須でした。
最初の2年程は婦人服のオーダーの仕事と並行して行っていましたが、多くの会社さんが行われている服のオーダーという仕事よりも、「自分で考えたオンリーワンの「f-pzl」が成長してどんなものになるのか」という事にチャレンジしたかったので今までの飲食業・婦人服のオーダーで蓄積してきた知識やお金を「f-pzl」に全て注ぎ込みました。
-実際に知的財産権は取れたのですか?
意匠権と商標権と実用新案権を取りました。それ以外にもヨーロッパでの意匠権や、アメリカでの商標権も取っています。
-海外の知的財産権を取られた理由は海外でも売っていきたいという思いからでしょうか?
そうですね。海外から突然引き合いがくる事もあるので海外の知的財産権も取りました。
まだ「f-pzl」を起業したばかりの2013年頃に、突然ドイツのプロモーション事業を行っている大きな会社から購入された事もありましたし、アメリカやオーストラリアや韓国から引き合いがきた事もあります。
しかし当時はまだ準備不足で「f-pzl」で作れる物も多くは出来ていませんでしたし、フェルトの製造過程で足踏みしていた事で継続的な販売に繋がりませんでした。
ただ突然海外から引き合いがある事は分かったので、専門用語の通訳が出来る人にお願いして海外の知的財産権を取るに至っています。
-何故早い段階から海外の引き合いがあったのでしょうか?
英語版のHP(ホームページ)も作っていたからだと思います。
ビックサイトで行われた「日本ホビーショー」で海外の人が面白がってくれた事を経験として分かっていたので、HPを補助金で外注した際に日本語だけでなく英語版も作りました。
その結果、そのHPを見て海外の方が問い合わせや発注をしてくれたのだと思います。
素材が大きく変わった5年間
-大変だった事は何でしょうか?
商品を作る為の素材の安定供給と、商品として流通出来るような仕入れ価格を得ることが中々出来ない事が一番の苦労でした。「f-pzl」は基本的な考え方などは起業当初から変わってないのですが、商品の素材に関しては大きく3回変わりました。
最初はフェルトのメーカーさんから「◯メートル」や「1ロール」という形で購入し、他の工場に切ってもらう事で商品を作っていました。しかし仕入れる量が僅かなのにも関わらず高いコストがかかり、販売する見込みがたった際にも「来月からこの色は廃番です」と言われ、安定供給が出来ない状況になってしまった為2社目を探す事になりました。
2社目は車の内装や見えない所に使われている資材としてのフェルトを、ペットボトルからのリサイクル技術を用いて何万メートルと製造している会社さんでした。
フェルト12色の製造を発注したのですが、通常は黒色中心の資材としてのフェルトを作っていた工場だった為、発注するたびに質感や肌触り、厚みが変わってしまい、品質面が安定していませんでした。
また私達が発注する場合、工場内を一旦綺麗に清掃した後に、白色のフェルトから慣れない配合で色の違ったフェルトを作成するというように手間も時間もかかってしまっていました。その結果、値段も「f-pzl」一枚の原価が10円以上になってしまった為、違う工場を探しました。
本当は国内生産のリサイクル素材で進めたいと思っていましたが、難しかったので、2017年に3社目として中国の工場に作成してもらう事になりました。なので5年間で3度材料を取引している会社が変わりました。
現在商品に使っているフェルトは中国で3年前に作成しカットして船便で送ってもらった物なのですが、現在中国の人件費も上がっているので当時と同じ値段で作るのは難しいと思います。
-素材の部分で大きな問題が起きることは予見していましたか?
全くしてませんでした。
大学生の頃に服地や布を触る機会が多くあり、布の試作は1m四方や10cm四方といった小さな単位でサンプル作成が出来る事を知っていた為、フェルトも同じような単位でオーダー出来ると思っていました。
しかしいざ蓋を開けてみれば、長さは2000mや3000m単位ですし、何色も作る際には工場のラインを一旦止めて作成したい色の素材を混ぜる必要があるのですが、中途半端な混ざり方をしている捨てなければいけない部分が出てきてしまいます。また、一度に大量の在庫が生まれるので倉庫にも多くの費用がかかります。
売れるか売れないか分からない物を大きい単位で買わなければいけない事は小さな会社のスタート時点では厳しかったです。
-何故このように大変な中頑張れるのでしょうか?
仕事が楽しいからです。
起業はリアルRPGそのものだと思っています。
「無いモノを作っていく」や「出来ていない事が少しずつ出来ていく」というのは頑張りの原動力です。
好奇心に引きずられてここまで来ました。今の歳になっても知らないことを知っていくのは楽しいです。
精神的な充実があるから、赤字の出ているような現場でも諦めようと思った事はありません。レゴも売れ始めるまでに17年かかっています。新しいものが受け入れられるのは容易ではありませんがワクワクする日々です。
来年からはエフパズルを教える講師組織つくりにも乗り出す予定です。エフパズルがレゴの様に普及していけるのかどうか、見守っていただけると嬉しいです。
-本日インタビューした株式会社f-pzl様の情報-
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