ヘアケアスキンケアプロダクツ開発を通じて第一次産業、地域創生や事業継承をサポートする。 – Blue Knot 株式会社 代表取締役 伊澤 昌高

今回は、人にも環境にも優しい商品を開発し、いち早くエシカルでジェンダーレスな商品を販売しているBlue Knot 株式会社 代表取締役 伊澤さんにお話を伺いました。

Blue Knot 株式会社は、継承問題を抱える日本文化、伝統や第一次産業を化粧品及び原料開発を通じてサポートすることを目的とした企業です。徳島県産の蓼藍に注目し、独自原料の開発とヘアケア/スキンケア/インナーケアプロダクツを製造販売しています。日本の大切な生産者の新たなマネタイズチャンネル創造、化粧品というメディアを使って藍の認知度を上げ地域移住や継承問題解消を目指しています。

写真:大杉 隼平

Blue Knot 株式会社 代表取締役 伊澤 昌高

経歴:

1978年生まれ。10代で渡英し、帰国後上京する。23歳の若さで某総合美容メーカーの最年少講師に就任。その後、日本初の厚労省認可のハイブリッドパウダーカラー(香草カラー)のアドバイザー・インストラクターに就任。アーティストなどのヘアスタイルからC.I.まで提案するデザイナー活動や、ヘアケアブランド「FromEarth /フロムアース」の総合プロデュースを担当する。2008年に株式会社VIZMを立ち上げ、東京都現代美術館にてOs Gemeosを担当する。2014年、株ぐぅーん(現:BlueKnot株式会社)のLHOOQを総合プロデュースを担当。2016年、株式会社真永 監査役員に就任。EBA(エシカル・ビューティ・アソシエーション)を非営利型一般社団法人化する。2018年、京阪HDのプロジェクトに参加。ラグジュアリーホテルのアドバイザー就任するなど、多方面に活動している。

 

事業内容を教えてください。

2014年に創業した際はスタートアップとして、かかわる人みんなで伸びていこうっていう意味で「ぐぅーん」という社名でした。その後、藍染めに出会いまして、元々は色がきれいだけど藍染の商品はお土産っぽくておしゃれじゃない印象だったんですが、藍の生産者さんとの出会いにより藍という不思議な植物に、一瞬で魅了され、深堀していくようになりました。それから開発を進める中で「藍」が人と人の繋がりを紡いでくれるようになり、気づけば藍コネクションで全国各地の方々とご縁ができていました。そういう経験を踏まえ、藍の青色と、英語で結び目を意味するノット、「藍が紡いでいく縁」でブルーノットという社名に変更しました。

 

現在は、3つの事業を展開しています。阿波藍の自社ブランドの営業、販売、原料の開発をしています。「スキンフード、スキンクローズ」をテーマに、健康且つ美しく長生きできるような街づくりをサポートしたり、コンセプトに沿った商品を作っています。

 

合わせて文化的な支援も行っていきたいと思っています。これは一次産業の中で、例えば農作業すると、農作業しながら歌う歌や、踊りがあったりとか、そういう風土にまつわる芸能や文化があるんですよね。そこには、人間の歴史や文化において重要な情報が詰まっているので、後世に残すようなサポートを行っていきたいと考えています。

 

創業経緯をを教えてください。

 

今まで、20年程化粧品の開発に携わってきているんですが、当時は色んなメーカーさんの開発室に入らせていただいて、開発のお手伝いをするコンサルタントやアドバイザーをしていました。主にサロン専売品のメーカーさんに入っていた事が多く、自分が開発した商品のフィードバックを貰う事が難しかったんですね。というのも開発者と美容室の間に、仲卸さんが入るんです。美容室と仲卸しさんっていうのは、強い信頼においてその関係性が成り立ってるので、商品の何が良くて導入してくれているかっていうのが凄くぼやけるんです。仲卸しさんが良いって言えば、美容室が導入するぐらいの影響力をもった営業さんとかもいるくらいです。

 

私は商品開発をする中で純粋なフィードバックが欲しくて、何が良くて、どうやって広がっていくのか、自分が本気で作りたいものを作った上で、どんな人が手にとってくれるっていうのを知るためには自分でやんないとわからないないなと思いまして。かといって、潤沢な資金がある訳でもないし、スモールスタートで何かこうできないかなと思ってたんです。

 

2014年頃に、前に携わっていた会社が安定してきていたので、事業をしている友人に声をかけて、一緒に自社ブランドのLHOOQ(ルーク)を立ち上げました。中身はとことんこだわりお金もかけたんですけど、商品をできるだけ安く提供できるように、広告や営業など、商品の中身以外に付随するものはほとんどお金かけずに作りました。ホームページも自分達でつくり、SNSで発信して、どうやって広がっていくかっていうのをある種、実験的なブランドとしてスタートさせました。

 

広告しない営業の成果はどうでしたか?

 

当時美容室は自分から商品を探さないって言われてたんですが、意外に問い合わせいただけたなっていう事にすごくびっくりしました。とはいえ、開発にお金もかかったし、回収しなきゃいけないので、知り合いに頼んで仲卸さんを何件か紹介してもらいました。ただ、仲卸さん達からの評価は散々でした。オールインワンの商品だったんですが、その時点でNGだと言われました。オールインワンでジェンダーレス、いわゆるユニセックスっていうのは、何が良くて誰に向けているのかターゲットがわかんないって言われたんですよ。

 

僕は、オールインワンとジェンダーレスっていうのが既にターゲットなので、それなのにターゲットがないって言われても、よく分からなくて。仲卸さんが言うには、例えば、40代30代の独身女性で、くせ毛に困っていて、朝の時間がないから簡単にくせ毛が収まって、楽になるような商品、というようなピンポイントに商品の良さがあるものじゃないと売れないって、完全にぶった切られました。それはそれでわかるんですけど、今までそういうものしかないから、僕達の世代とか、男女関係なく誰でも、商品が人を選ぶんじゃなくて、人に選んでもらう商品を作りたかったんです。オールインワンでユニセックスっていう、僕の中ではもう完全にこうターゲット層でそれで絞られてると思ってたんですけれども、評価は散々で、下手したら怒られるぐらいな事もあって、いきなり出鼻をくじかれて、仲卸への営業は完全に心折れました(笑)これ以上やっても無駄だなって。

 

今だったら、こういうコンセプトの商品は世の中的に早過ぎたんだなーっていうのはわかるんですけどね。当時は若かったのもあったので、世の中の広い価値観を理解できなかった部分があって、自分の価値観が全てだったんでしょうね。世の中を思い知らされました。

 

ブランド立ち上げ後はどう事業展開していきましたか?

 

LHOOQ(ルーク)からシャンプーを販売してから、仲卸さんはもう完全にあきらめて、美容室さんにどれだけコミットできるかっていう事を考えるようにしました。現場の人の役に立とうと、美容師さんにこういう商品ないですかって聞かれたら、それを即座に作ることを事を始めたんです。美容師さんの言った事が、実際の商品として作ってみましたっていう行動力やスピード感にびっくりしてくれる美容師さんの反応が嬉しかったんです。人が喜んでくれるってエンターテイメントみたいな感じで。

 

私はカラーリングのスペシャリストでもあるのですが、ある時ヘアカラーのかぶれに関して、アレルギーの事や、パッチテストの事を講習の一部で喋って欲しいっていう依頼を受けました。喋ってみたところ凄く好評で、問題が解決できましたとかお声を頂き、全国に発生して、1年〜2年で1500人以上の方が受講してくれるようなムーブメントになりました。業界紙とかでも連載させてもらったりとか、美容業界において肌の健康や問題、体の問題、美容室においてのリーガルリテラシー、ヘルスとリーガルリテラシーの先駆者的なところに行くことになりました。

 

藍製品は大量生産ができないと伺いましたが、このことは藍文化を残していく上で大きな問題になっていくんでしょうか?

 

これ実はですね、江戸時代や明治時代までは大量生産してたんです。当時は沢山の人が従事しており、たくさんの藍を江戸や京都をメインに輸出していました。徳島にはいくつか藍豪商、今で言う商社がありました。藍で築き上げた経済力で当時三井銀行につぐ第二位の規模の私立銀行を作ってしまうほどです。大量生産できるポテンシャルをもっていました。ただいくら作る能力があっても需要が減っていき、その機能を生かす事ができず、衰退しました。休耕地はたくさんあるので、やろうと思えば広げていける、ある程度の大量生産は可能な状況ではあります。

 

需要が減った要因の1つが、ジーパンの染料である、ピュアインディゴっていう合成のインディゴが世に出た事なんです。今、ファッション業界の環境汚染が叩かれている原因の一つが合成染料です。これらは水質汚染に繋がっていると言われていて、少しずつ草木染めにしていこうとか、環境に影響のない染料にしていこうっていうムーブメントもあります。ただ、化学染料を全て辞めて、藍染めになるかと言うと、それはちょっと現実的じゃない。藍を育てる人が増えるとか、藍染めする人が増えたとか、藍染め製品買う人が増えたっていう事があったとしても、地方において一番大事な雇用や、一次産業で満足な収入を得ることは、藍染だけでは期待出来ないと私は踏んでいます。

 

従来の用途だけでは限界があるんですね

 

ブルーノットでは、スキンフードとスキンクローズをテーマに、藍染や黄檗染めなど「染織」に使われる植物をエキス化して化粧品を開発しています。お肌の食べ物と、お肌の洋服という意味なんですが、ちゃんとお肌の栄養になる食べ物や、お肌を守る事ができるかどうかを重視しています。人間が衣を染めた始めたのは、色のためではなくパワーのある植物を身につけようとした結果、衣が染まったという節を唱える帯匠、誉田屋源兵衛の山口源兵衛さんのお話は印象的でした。

 

洋服を染める事は、手間とかコストとか世の中の仕組みの中で、植物染めに戻すことはできなくても、化粧品にその機能を持たすことが、洋服を染める事より簡単で、環境にも優しく、大量消費も可能、人間にとってプラスな要素もたらせる。衣に委ねていた一部を、食べ物とかに委ねていた一部をスキンケアで担えばいいかなという事が開発する上でとても重要なテーマになっています。

 

藍染と化粧品を掛け合わせた発想はどこから来たんでしょうか?

 

2016〜17年頃に高知の藍里農園と徳島の藍色工房が、藍のヘアカラーを作ろうとしている段階である美容室のオーナーさんから噂を聞き、すぐに電話して現地に飛びました。藍に一瞬で魅了され、関わることに。

最初は原料を買い取って弊社で商品化しようと思いましたが、原料が高く、計算するととんでもない上代設定になるので、生産者さんの方で商品化し、ブランディングや販売を弊社ですることになりました。

藍のヘアカラーが成功して、原料としてさらに研究を進めることで3種類の藍の化粧品原料を作ることができたことで、商品バリエーションの可能性が一気に広がりました。

オーガニックの化粧品はスキンケアがあっても、アイシャドウなどの色物は選択肢が少ないのでそこにメスを入れます。。藍は身体にも良いし、色も良いのでコスメに使用できるなと、そこで先輩のヘアメイクアップアーティストの冨沢ノボルさんに、一緒に開発しませんかとオファーしました。

 

藍染めを知っている人は多いので、「藍のシャンプーで染まるの?」って聞かれることもありますが(笑)染まりません。ヘアカラーのように染めることもできますが、見た目は青くても染まりません。面白いのは青くない藍の原料もあるんです。茎の部分を使った藍のエキスは透明で、美容成分がたっぷり含まれています。来年、Not Blue(ノットブルー)というB to Cブランドが本格始動しますが、意味は「ノットブルー、バットブルー(青いけど青くない)」です。美容液などは青くないけど、色物は青を中心に展開するメイクアップブランドです。

 

製品開発は難しいと思いますが、特にどこが大変でしたか?

 

商品開発には6年かかりました。長いですよね。大変だったことは2つあって、1つはバジェット、凄いお金がかかります。OEMアイテムなどは、過去数100アイテム作ってきたので、自信はあるんですけど、やっぱり原料からの開発は、時間もかかります。蓼藍は一年草なのでもしも失敗したら、もう1シーズンかかるんです。使用量とか想像つかない収穫の1年前に、「来年どのくらい作りますか」って聞かれるんです(笑)。種を植えないといけないからです。藍について自分は素人なので藍の生産者であり開発者の坂東さんは私の藍の師匠といって過言ではないくらいいろんなことを教えていただきました。分からない事だらけ、考えてもわからないので賭けでした。

 

もう1つのハードルは、人間関係。生産者の方々が何を思って、何を感じて、何を一番大事にしているかを理解し、敬意を払わずにコミュニケーションは成立しないし、他所からきた人間なんて信用されなくて当然なので時間をかけて、心と心が通じたコミュニケーションをしたくて足繁く通いました。いろんな生産者の方々のお話を聞いてると驚いたのが、いきなりコストダウンから話が始まるとか。例えば1g30円のものを10円に値引き交渉から入るなど。あとは残渣や廃棄するものはタダでもらえると思ってる人が多いこと。真面目に一生懸命自然と向き合っていいものを作ろうとしてる方々になんて敬意のない、商売のことしか考えてない人が多いんだろうって、正直、荒らしですよね。同じように思われたくない。ブルーノットでは、茎など捨てる部分を買い取ることで藍農家さんの新たなマネタイズチャンネルを作ろうとしてるんですが、都会から来た企業は捨てるんだからくれって言う方々も多いみたいで。いくら捨てるものとはいえ、農家さん達は持っていき易いように束ねたり、綺麗にしたり、すごい労力がかかる訳ですよ。 貰うだけ貰って「世の中の問題解決しました」なんて、農家さんのこと馬鹿にしてますよね。いろんな農家さんから「都会から廃棄する農作物とか残渣をくれってよく来る」と耳にします。これは社会と生産者の間が離れてしまう社会の問題、だから自分が変えないといけないと思っています。今後は今回の藍の茎のように本来捨てるものが化粧品原料にも最適で、生産者の方々の新たなマネタイズチャンネルになるようなものを発掘して行きたいです。

 

大変な中、ここまでやり切れた理由はなんでしょうか?

 

私は高校卒業後、一次産業を放棄しイギリスへ留学しました。きこりの子孫として生まれて本当だったら林業を継いでる立場なんです。放置林が今すごい問題になっていて、放置林は海洋汚染とも密接に関係してまして。こういう問題はとても耳が痛いんです。そういう後ろめたさが潜在的にあったと思います。藍の生産は一反という広さでも10万ほどにしかならない、いたたまれない場合もあると聞きます。それでも藍の需要が激減しても新たな需要を見出しながら工夫し頑張ってる生産者の方々も多く、その中には「自分達はこの地域に残る最後の農家だから途絶えさせてはいけないんだ」っていう覚悟と代々続く責任感を持って藍を生産してる方々の言葉や姿勢には感銘を受けました。僕はそれを放棄した側だったのでもしかしてこの先に答えがあるのかもしれないと感じました。

 

自分が居る世界、化粧品という耽美的な世界は、1つの消費社会の象徴でやはり環境汚染と切っても切れない業界です。この業界がやっていることに本質さが欠けていると。これは本質的な所から深掘りしていく必要があると。

 

そもそも化粧品っていうのはエジプト時代から始まったと言われ、そのルーツは耽美的なものではなくて、お肌の健康維持からスタートしてるし、どっちかっていうと衣食住の衣に近いんです。それがいつしか、消費的なものになっているだけで、原点に戻したいと思いました。生産者の方々みたいに、ちゃんと丁寧に育てて、思いやりがある中で、自然の力を最大に生かしながら、本当に循環できる社会の一部になれるんじゃないかなということをその時感じたんですよね。なので、すごく大変でも諦められずやり続けることは妥協できないからだと思います。

 

今後はどのように展開していくのでしょうか?

 

弊社みたいな規模感では業界に対しての影響力って殆どないと思うので、身の丈にあったところで努力し続け、やがて日本の一部だけでも生産から消費、そして生産に帰るまでが循環する本来ある姿にしたいと思ってます。今、実際に動き始めてる事で、藍だけではなく、色んな地域に根付いた文化の中にある原料となるものを商品化していこうとしています。やっぱりそういう原料のある所って、土地的にも魅力だったりするんです。

 

自分が徳島に魅せられたように、美しい土地に素晴らしい方々がいます。私は商品はメディアだと捉えています。商品というメディアがその土地を知ってもらう1つのきっかけになって、旅行や移住など、そこに行く動機になればいいなーと思っているんです。あとそういう地にリトリート施設を作るっていうプロジェクトがあります。これはちょっと規模感がおおきいので中長期プランになっていくとは思います。日本人が来ても癒されながら、その土地の良さの中で日本人で良かったなっていう再確認になる場所でもあり、外国人が来れば、日本の素晴らしい風土や文化があるんだなと、そういう日本を発見してもらえる場所を作りたいです。健康の先に、美しさがあり、それは内面でもあり、外でもあり、そういう商品と施設を考えています。

 

ー Blue Knot 株式会社様の情報 -

HP:https://www.blue-knot.co.jp