株式会社グレイスはハンドメイドイベント・デジタル系イベントなどの直接触れ合い楽しめる体験型ワークショップイベントを提供している企業です。
現在は多くの販売チャネルでワークショップイベント開催で必要になる制作キット等を販売しています。
まだ体験型イベントを説明する言葉が無かった時代に「ワークショップ」という言葉を生み出し、事業と共に日本に浸透させたイベント会社、株式会社グレイス。
現在通信販売へと舵をとり、生き残りをかける当社の代表大田徹さんに「イベント会社が生まれるまでの流れと、コロナ禍での行動」について伺いました。
大田 徹 - 株式会社グレイス 代表取締役/創業者-
経歴
国内金融機関、外資系保険会社を経て30歳で保険代理店を創業。
その後、2015年6月株式会社グレイスを創業。
言葉で差別化した会社は保険会社の1部署から始まった
-「ワークショップ」を生み出した株式会社グレイスはどのようにスタートされたんですか?
実はBtoCの保険代理店を最初に作っていました。
そこで来店型の保険ショップを沢山出していたのですが、ショップは広告や集客を行わないとお客さんが集まりません。
なので集客を行う為のイベントをする女性社員2人の部署を2015年の終わりに作りました。それが「株式会社グレイス」のスタートです。
-最初から「ワークショップ」を行う会社を作っていた訳では無かったのですね。ワークショップの事業へと移った経緯を教えてください。
イベントの問い合わせが増えてきた事がきっかけだったと思います。
広告代理店さんと取引を始めた事で「こんなイベント出来ますか?」というような問い合わせが増えていきましたし、取材を受けたことにより更に問い合わせが増えていきました。
またこの時に別の保険の代理店を買収したのですが、保険とイベント事業どちらが本業なのかと聞かれることが増えてイメージがよくないと思っていたので、保険の事業とイベント事業をはっきりと区分して整理しました。
-大田様の書かれていたnoteに、取材をきっかけに問い合わせが増えたと書かれていましたね。何がきっかけで取材を受けるようになったのですか?
ハウスメーカーさんの依頼で開催したイベントの集客が注目を集めました。
定員1日200名でイベントを開催したのですが、オープン前に4000人が来場されました。大阪のグランフロントを2周する人数が集まってしまった為テナントさんから怒られたり、他のお客さんから凄いクレームを受けたりしました、「他のテナントさんの前まで行列があって入れない」と。
「社長すぐに来い」と言われたのですぐ駆けつけて、イベント自体は丸1日かかりましたが、4000人の行列は20分程で解消させたんです。
4000人を集めた集客力と、40分で解消した解決力が凄いと色々な所に話がいき、業界雑誌の編集長の所まで話がいって、取材させてほしいとなりました。
当時はそんな有名な雑誌の人だとは知らなかったのですが、取材内容が掲載されてから問い合わせはとても増えましたね。
-4000人を集められるイベントが出来る会社というのは注目を集めますよね
物を作ってもらう体験型イベントというのは、当時新しい仕事だったと思います。
-イベント会社としては4000人を集められた事がきっかけで一気に業績等が伸びたんでしょうか?
会社が伸びた1番のポイントは「ワークショップ」という言葉を作ったことだと考えています。
言葉がある事で、僕達の行っているイベントが瞬時にイメージ出来るようになったと思います。
2015年当時は体験型イベントを表す言葉が無かったんです。「僕達はこういう事業をやっています」と言っても「催事ですか?」と言われてしまう状態だったんです。
-言葉は考えた末に作り出したんですか?
なにかBtoBであることと、体験型イベントの両方がイメージできる言葉を探していた時に、たまたまアメリカのForbesという雑誌の文章の1単語として「ワークショップ」という単語がありました。
何かなと気になって辞書で調べてみると違う意味でしたが、やっていることが似ていて、この言葉いいなと思いました。
「催事」と「ワークショップ」全然違いますよね。
言葉選びが凄く良かったのだと思います。
最初のイベント部署を立ち上げた時から言葉と共に歩んできました。
-「ワークショップ」という言葉は最初から受け入れられましたか?
最初は全然通じませんでした。言葉が浸透していくのに1年近くかかったと思います。
当時、同じようなイベントを行っている人はいたと思いますが、言葉が無かったので皆、どのように言えば良いのか悩んでいたと思います。
実際に僕も「何をやっているんですか?」と聞かれた時に説明出来なかったので言葉を作る必要があるなと感じていました。
-言葉で差別化し、取材によって沢山の問い合わせがきたという事でしたが、そこから大きな困難はありましたか?
ありました。
資金繰りという部分もありましたが、クライアントが大きくなるにつれて「こんな事出来るのか?」というような難題が次々に来る事が困難な事だったかもしれません。
-実際にどのような難題がありましたか?
この世にないもの作らされましたね(笑)「7色の液体が入っていて覗いた際に液体が動く万華鏡を作ってもらうイベントを企画してくれ」とか。
そんな物出来るのかなという困難は沢山ありました。
大手企業さんになればなるほど求められるレベルが高かったです。
-自ら営業は行っていましたか?
自ら営業はしていませんでした。
技術的な無理難題なら良いんですが、金銭的な無理難題は応じたくないと思っていました。
こちらから営業すれば安い値段でやってくれと必ず言われると思っていたので、自ら営業する事はせず、今で言う「反響営業」というものをしていました。
-この時働かれていたのは大田様合わせて何名様ぐらいだったんですか?
イベントだけ手伝ってくれた方もいたので何とも言えないですが8人ぐらいです。イベント当日は派遣の方や応援の方を呼ぶので実際にはそこまでの人数は必要ではありませんでした。
-少ない人数で無理難題を成功させる時に気をつけていた事・意識されていた事はありますか?
アイデアが先過ぎないようにしています。
先に行き過ぎるとお客さんが着いて来れないと思っているので、突拍子もないことせずに、半歩前ぐらいで抑えるようにしています。
なのでまだまだ温めているアイデアはいっぱいあります。
-半歩前で抑えるためには人よりも1歩2歩先を見る必要があると思いますが、大田様はその視点を持つためにどのような行動をされていますか?
現在も海外の雑誌を読むなど自分のアンテナを広げるようにしています。
大きな転換点
-コロナウイルスの影響はやはりありましたか?
ワークショップは順調に推移していたのですが、2020年の1月末ぐらいに丁度日本にコロナウイルスが来て、そこから少しずつキャンセルが増え始めました。そこまで影響ないかなと最初は思っていたのですが2月に入って予約が全部キャンセルになってしまいました。
予約が0になった時に会社をたたむかどうかとても悩みましたね。
自分が悪いことをしている訳ではないのに..と悔しかったです。
-そこから生きる道を探して通信販売でEC系の事業を始められたと拝見しましたが、他に考えられていたサービスや事業はありましたか?
ありません。EC一択でした。
-何故でしょうか?
全部キャンセルになった後、会社に残っているのは何かと考えました。
残っていたのはキャンセルになったイベントの材料でした。すぐに現金がいるとなった時に売るしか無かったんです。
ただ戦略としてECというのは前から考えていたのである程度ECサイト等は作っていました。何故ならコロナの直前に僕達と同じようにワークショップを行う会社が幾つか出てきていて、このままではいけないから別の事もやっていこうと考えていたからです。
-前倒しでECがきたんですね。
否応なくきました。
計画の4、5年ぐらい前倒しでした。
-ECをする上でどんなリソースが足りていませんでしたか?
なにもかもです。まず知識がありませんでした。JANコードやSKUといった、ECにおける基礎の言葉も最初は全然わからなかったです。
なので自ら学んだのですがその際に、本を買って勉強するような時間は無かったので、周りの人達から学びました。
-最初はどんな困難がありましたか?
顧客を獲得するのは難しかったです。
顧客を獲得するためにとにかく「写真を綺麗に撮る」「文章を分かりやすくする」といった基本の活動をしていました。
「新たに広告を出したりPRをお願いする」という活動はしていませんでした。
写真を撮るにしてもスタッフ皆素人なので全部独学です。皆が頑張ってくれました。
-「コロナが落ち着いたらワークショップを再開する。」のような戦略は立てられていらっしゃいますか?
あまりしていません。いつ収まるのか等何も分かりませんから。
ただ、ウィズコロナ戦略はすでに行っています。たとえばその一つが、ヘアケア商品を開発です。先日、展示会に出展し、そこで多くの業者様から評価とお問合せをいただきました。本年年末から来年度に市場に投入されますので、これから多くの方の目に留まることになるかと思います。
-本日インタビューした株式会社グレイス様の情報-
会社HP
大田様 note