価値ある未来を創る。‐ アクトインディ株式会社 代表取締役 下元敬道

子どもとお出かけ情報サイトいこーよは、子育て層の約 8 割が利用し、全国 89,000 件以上の施設情報や 60,000 件以上の口コミを掲載しています。

グループ会社「せいざん株式会社」にて寺院支援saas、青山霊廟(納骨堂)、シニア向けメディアを運営。

下元敬道
画像:アクトインディ株式会社 代表取締役 下元敬道

 

経歴:

1976年12月、高知県生まれ。 青山学院大学経営学部卒業。

2003年に26歳に商社、株式会社アイレップを経て独立し、アクトインディ株式会社を設立。

当時、情報不足が問題となっていた葬儀業界の課題を解決したいと考え、ネットを活用して優良な葬儀社を紹介するサービスを日本に定着させた。

この事業を経験して「情報の活性化が、業界と利用者双方から喜ばれる」ことを確信。

その思いを持って子育て層・子ども向けサービスに着手し、2008年に子どもとお出かけ情報サイトいこーよをスタート。

現在「いこーよ」は子育て層の8割が利用するサービスに成長している。

独立の思いは「ネットを使って世の中に価値を発信し、課題解決をしたい」

 

◎もともと青山学院大学の硬式野球部に所属されてたんですか?

そうです。

当時は野球部が全寮制で、井口選手や澤崎選手、倉野選手、清水選手といった後にプロで活躍する選手達と一緒に寝食をともにしながら生活していました。

 

◎経営者になりたかったのは何でですか?

色んな経験の蓄積から経営者になりたいと思いました。

私の父は独立して仕事をしていましたし、小学生の頃から様々な偉人の方の伝記本を読むことが好きで自分も将来は何かやってみたいと思っていました。

大学の野球部を退部して時間が出来て、色んな本を読んでいる中でこの人がいなければこのようなサービスはなかったというサービスが作れるのは面白いなと思ってました。

ぼやっと思っていたことをより具体的にやろうと動いた結果、経営者になりました。

 

◎今されている事業とご経歴を拝見すると、その後、転職で入社された株式会社アイレップ様でのご経験が今に活かされていると感じました。

そうですね。

完全にアイレップで学んだ事を活かして起業しました。

私がアイレップに入社した当時は創業者の高山さんと私の2人しかいない状態でした。

なので営業回りだけではなく、人事、経理、マーケティングなど事業に関わる職種はほぼ全部やらせて頂きました。

 

◎創業された2003年は実際どのようなことをされましたか?

アクトインディ社内風景

起業当時は資本金50万円でスタートしました。スタートした時は想像以上に事業が上手く軌道にのりました。

その当時の事業は葬儀サポートセンターという葬儀屋さんを紹介する事業を行っていました。

前職で広告業界にいた時に葬儀屋さんの広告をお手伝いしたことがありました。

そこでぼったくりが多くあることを知り、私自身がタウンページを見て、葬儀屋さんにヒアリングをして調査をしました。

その中で適正な適正な利潤かつ担当者の人柄をみて信頼できる葬儀社を紹介していました。

2か月単月赤字が続いたら倒産する状況でしたが、なかなか葬儀の相談がしづらいこともあり、インターネットでのニーズが多くあったので1ヶ月目から利益がでました。

24時間365日いつでも電話とメールで相談にのりますというので行っていたので、そこが一番大変でした。

 

◎その当時は1人でされてたんですか?

サービス開始してから1名だけ採用して私含めた2名で回しました。

気が付いたら創業から2年くらい1日も休んでいない日が続いていました。

寝るときはしっかり睡眠をとりますが、枕元に携帯を置き、いつ連絡が来ても対応が出来るようにしていました。

なので食事や外出するときでも対応出来るように携帯をもったり、もう1人のパートナーと時間を合わせたり工夫をしていました。

 

◎創業から2年後はどのようなことをされましたか?

葬儀サポートセンターの事業は順調に成長していました。

葬儀を終えられた方がお墓を探すのに相談されることが多く、無償でお墓の資料をまとめて送付するなど行っていました。

そうするうちに自然と社内に霊園や墓地のデータベースが出来て、問い合わせに対して検索してご案内したりしてました。

ただ、このデータベースをオープンにして検索サイトで表示されて資料請求を出来るようにすれば良いと思い「ついのすみか」という霊園検索サイトを立ちあげました。

 

◎このサイトの収益は広告収益になるんですか?

そうです。お墓の石は中国から輸入されることが多いのですが、売値の10%もないくらいの値段なんです。

殆どが霊園の開発費用や広告宣伝費に使われているんです。特に広告は毎週チラシを入れるなどしていたんです。

検索する方はいまお墓を探されている方なのでニーズの高い方になるんです。そこに対して僕たちは1霊園広告掲載するのに月1万円下さいという形で掲載期間でご料金を頂いていました。

そしたら瞬く間に年間6000万円の売上になりました。葬儀の事業も忙しく会社としては圧倒的に黒字でした。

ただ霊園の事業に関してはどんどん競合が増えていきました。

 

◎競合が増えてきた中でもこれまでの知見を活かして何か工夫をされたんですか?

そうですね。

葬儀の紹介業も競合は増えましたが、私たちとしては当たり前のことを当たり前にやるという姿勢を変えずに行っていました。

葬儀の相談を受けて実際に葬儀の会社様をご紹介した際は、その葬儀にも最後まで立ち会っていました。

適正な葬儀会社様をご紹介していたのも我々くらいだったので、ただ紹介だけしてお客様を右から左に流すということはしませんでした。

紹介している葬儀会社様と顔合わせをしたこともなければ、オペレーションも分からない状態で葬儀会社をご紹介している会社様がある中で、私たちは担当者様の名前まで指名してご紹介していたので「質」という部分で大きな違いがあると思いました。

2014年にこの葬儀サポートセンターという事業は終りましたが、業界内では未だに「葬儀サポートセンターだけは違う組織だった。」と言われています。

 

◎素晴らしいサービスだと思いましたが、辞められたのはどのような背景がありましたか?

何十社と競合が出てきて、葬儀会社が別会社を作り、葬儀相談窓口を作って全て自社の葬儀会社を紹介するようなことを始めたんです。

あとは消費者の方が費用だけで比較することが多くなってしまい、見積時点でとにかく安い所に依頼をする事が増えてしまいました。

我々としては責任ある形で質にこだわった仕事をしても、ご利用者様に価値が伝わらないというのでこのまま続けることは難しいと判断して撤退しました。

 

◎ここから「いこーよ」という全く別の業界のサービスを始められましたが、どのようなきっかけがありましたか?

もともと起業した時に次世代に価値を残す事業として子供に関わる事業と、一方で死生観の違いで人は生き方が変わると自分で感じていたので、死生観に触れる事業の2つは事業としてやりたいと思っていました。

ただ資本金が50万円しかない時にビジネスモデルを考えると、現在の「いこーよ」のようなビジネスモデルは作るのに相当時間がかかる上に、上手く行ったとしても黒字化するのにメディアの場合は数年かかるんです。

その当時の資本金でやるのは無理だと考えていました。それに対して葬儀の紹介は紹介してからキャッシュが生まれるまでリードタイムが短いので葬儀事業からスタートしました。

途中でちゃんと利益が上がるようになったので、途中から子育て事業で「いこーよ」も始めました。

よく真逆だねと言われることもありますが、人の価値観を揺さぶるタイミングや価値観形成の土台となる一番大切な2つのタイミングで事業をやりたいと思っていたんです。

 

◎実際に「いこーよ」というサービスを開始した当時はどうでしたか?

いこーよ

とても大変でした。

いこーよの前にも子育て向けのサービスを作っていて、それが上手く行かなくず、三つ目に立ち上がったサービスが「いこーよ」でした。

このサービスに関しても何度も社内で閉じようという話がありました。

お出かけ施設のデータ集めが大変で、既存のデータを持っている出版社から買ったりレンタルすることもできました。

ですが、データが命のサービスなのでデータが独自のものでないのを使って上手く行った場合、そのデータを突然販売されなくなったり、レンタルがされなくなったら事業が潰れてしまうんです。

万が一リクルートさんや学研さんなどの大手が競合になったらさらに厳しくなることを考えるとこつこつ自前でデータを作るしかなかったんです。これだけでも多くの時間がかかりました。

広告もPVが付くようにならないと使ってもらえないので、とにかく「葬儀サポートセンター」で得た収益を投資していました。

そうなると既存事業のチームからも反発がありますし、続けるのは大変ではありました。

 

◎そこから急にブーストがかかったかのように成長したと思いますが、好転したタイミングはありましたか?

1個目の転機は2010年くらいだと思います。

当時YahooではYahoo独自のエンジン開発をしていて、一方でgoogleでは様々なお出かけキーワードで上位にいました。

ですが、Yahooの検索エンジンだとなかなか上位に表示されなかったんです。

そこでアクセスが伸び悩んでいました。ですが、Yahooが2010年か2011年頃に独自の検索エンジン開発を辞めて、googleのエンジンを採用することになったんです。

そこでアクセスが3倍から4倍に伸びたんです。その当時は本当に「いこーよ」も閉じようとしていましたが、同時にアドテクノロジーが発達したことによって、広告収入で凄い売上が上がったんです。

そこからこつこつ施設数を増やすことでコンテンツを増やし検索に引っ掛かりやすいようにしていました。

そして、2012年の8月頃に月間で200万ユーザーを突破しました。そのタイミングで資金調達を行いました。

これにより一気に少人数だったチームの人数を増やして事業を拡大しました。そこで大きく別のフェーズにステップアップしました。

 

◎最近だと地方との提携等もされていて、地方創生などもされているんですか?

いこーよとりっぷ

私自身が高知県出身で地方の良さや本当の豊かさを凄く感じているんです。

いま五反田に会社がありますが、五反田でビルを一棟買うと場所や広さにもよりますが、何億何十億という値段になります。

ですが、田舎の山だと広大な敷地面積の山を購入しても数百万で購入できるような状況なんです。

数年単位の短い期間ではなく、次世代のことも考え100年200年という単位で考えたときに、私は人々の生活の根本であり、川や海の生物を守り育む根本となる山の方に価値があると思うんです。

こういう本当の価値が残るようにしていきたいという想いが根底にあるんです。

いまは色んな価値観が存在する世の中になって、それこそリモートになって田舎に移住する方も増えてきているんです。なので田舎の良さを上手く活かせると思っています。

ここでも子育てをされる方も関わってくるので、田舎の良さと上手くマッチングできると思っています。

自然と調和しながらじゃないと生活も続かないので、産卵時期は禁漁して取らないですとか、環境保護に関して当たり前のことではありますがしっかりとされているんです。

自分たちさえ良ければいいのではなく、次世代のことも考えて価値を残していくことも子供たちに伝えていきたいと思っています。

また、伝統工芸の担い手がいない部分に関しても、子供たちに価値が伝わり将来的には担い手にもなるような事が出来たら嬉しいと思いながら行っています。

 

◎今後のビジョンや展開を教えてください。

アクトインディ社内風景

「本当の豊かさ」「本当に大切なモノ」をちゃんと残していくことや、創り出していく事をやりたいと思っています。

HPの未来図にも書いてありますが、学校なら偏差値、社会ではお金が価値になっています。都心部の土地や物件は高いのに対して、地方の山は安い値段になっているんです。

長い目で見たときに本当に価値があるのは山などの自然だと思うので、誰かが決めた数値化できるものに惑わされず、本当の価値を世の中に残し、子供たちに体験や経験することを通じて失われそうになっている良さを残していきたいと思っています。

 

‐本日インタビューしたアクトインディ株式会社様の情報‐

アクトインディ

会社HP:https://actindi.net

子どもおでかけ情報サイト「いこーよ」:https://iko-yo.net/

いこーよとりっぷ:https://trip.iko-yo.net/

いこレポサービスサイト:https://report.iko-yo.net/

未来へいこーよサービスサイト:https://future.iko-yo.net/

BetterDays子どもの日齢通知サービス:https://betterdays.life/